[JAPANESE] Asuka’s Final Line

Originally from geocities.jp/animeyawa/eva.html (5/17/13)

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BSアニメ夜話 第3弾 第1夜 「新世紀エヴァンゲリオン」
(2005年3月28日放送)

出演

岡田 斗司夫

乾 貴美子

「新世紀エヴァンゲリオン」企画 大月 俊倫

作家 滝本 竜彦

アニメ評論家 藤津 亮太

SFファンタジー評論家 小谷 真理

アニメ評論家 氷川 竜介

乾:BSアニメ夜話、司会の乾貴美子です。

岡田:岡田斗司夫です。

乾:今回はこの二人を見れば分かると思うんですが、新世紀エヴァンゲリオンです。

岡田:とうとうこの日がやってきましたね。これね、受注生産だそうで、こちらのほうはねアスカの方はポーズ固定なんだけども、綾波レイのほうは全身関節が可動するかなりこだわりのやつで、いわゆる給料初任給二ヶ月三か月分といわれるかなりお高いものをスタッフが用意してくれました。

乾:なるほど。そんなエヴァですからお待ちかねのかたも多いかと思います。今夜はスペシャルバージョンです。特別ゲストもお二人お呼びしております。どうぞ。エヴァンゲリオンの仕掛け人プロデューサーの大月俊倫さんとヒロインのアスカを演じた宮村優子さんです。よろしくお願いします。放送から十年経ちましたけれども、大月さんその頃のことはまだ覚えてますよね?

大月:作品の中身のことはあんまりよく覚えてない。

岡田:大月さんはこういう人なのでこういうペースで話しましょう。

乾:はぐらかされそうですけどもね。宮村さんはいま振り返ってみてこの作品って・・・

宮村:そうですね。当時新人だったので、いつもすごく緊張してスタジオに行ってたのを思い出しますね。

乾:せっかくですからね、アスカの声で一言いただきたいですよね。

宮村:はい、わかりました。

岡田:僕は静かにしてますから。みんなたぶん録音していると思います。

宮村:「あんた馬鹿ぁ?」

岡田:ありがとうございます。

乾:しびれますね。

岡田:みんなこれを着メロにしたりするようにね。

乾:さっそくまいりましょう。エヴァゲリオンどんな作品だったのか、知ってる人も知らない人もまずはこちらをどうぞ。

ナレーション:1995年から96年にかけて放送された新世紀エヴァンゲリオン。監督は実写アニメ両ジャンルで活躍する庵野秀明。熱狂的なブームを巻き起こした本格派SFロボットアニメだ。時に西暦2015年、使徒と呼ばれる正体不明の生物が次々と日本を襲う。どこから現れたのか、その目的は?使徒に対抗するのは国連直属の特務機関ネルフ。ネルフ総司令碇ゲンドウの息子碇シンジは14歳の少年。ある日突然エヴァンゲリオン初号機のパイロットに選ばれる。紫のボディはシンジの乗るエヴァンゲリオン初号機、青いボディはエヴァンゲリオン零号機、パイロットに選ばれたのは寡黙でミステリアスな少女綾波レイ14歳、赤いボディはエヴァンゲリオン弐号機、パイロットは勝気でプライドの高い少女惣流・アスカ・ラングレー14歳。使徒とはなにか?そして人類補完計画とは?謎めいた物語は多くのファンをひきつけた。またキャラクターたちの複雑な家族関係や心理的葛藤を細かく描いたことが当時の若者を深く感情移入させることとなった。そして迎えたテレビ版の最終回、そこでは期待された謎の解明は行われず、碇シンジの心が回復していく内面のドラマが描かれていた。この結末はファンの間でも賛否両論、大論争に発展した。1997年には劇場版が公開され、物語は完結した。しかし、人類補完計画を初めとする数々の謎は残された。分からない結末を推理することも新世紀エヴァンゲリオンの大きな魅力だ。

乾:あらためてご覧になってみていかがですか?

宮村:はい、もう十年も経ってるんですけども、なんか新鮮に見えましたね。

乾:滝本さんはエヴァにはまった世代ですか?

滝本:ええ。高校の頃ちょうど生放送リアルタイムで見てまして、それ以来僕の人生とは切っても切り離せないぐらいにはまった感じですね。

乾:いまだにエヴァは引きずってますか?

滝本:ええ。いまだに一年に一回ぐらい、ビデオを全巻見返したり。

岡田:よく世界設定が複雑で深いところが新しくて面白いとよく言われたんだけども、いま見ると違うような気がしてるはしてるんですね。実は根幹の王道としてのロボットアニメ、あと少年物語として面白いというのがこの作品の魅力なんじゃないかなという気はしますね。

唐沢:王道なんですよ。逆にいうとすごく作りが。特に最初の初期の頃はね。私はこの作品を、パイロットで一、二話という形で見てですね、感想を求められた、あるイベントで見せてもらって、感想を求められてどうですかって言われたときに、この質で、この絵の質とストーリー、これだけ最初の頃からどーんと出すもので、二十何話作る気ですか?と。一社製作でと。それは無理でしょう。どこかで崩れるんじゃないですかという風に言って、当たったことは当たったんだけども、あそこまでとは思わなかったんで。

乾:大月さん、いまの意見はいかがでしょう?

大月:一、二話見たときは、当事者であることの感激と同時に恐怖が襲ってきました。ようするに、いまのテレビのアニメーションとうものに対して庵野さんやガイナックスのスタッフや僕が考えたことはやっぱり風穴を開けたいと、スポンサー至上主義の考え方に対して風穴を開けたいと、要するにクリエイターが作りたいものを作ってそれを視聴者に見せたらどういう反応が起こるんだろう、みたいなのが根本にあったんですよね。

乾:まあしかし本当に大反響のあったアニメなので視聴者のかたからのメールもたっくさんいただきました。いくつかご紹介したいと思うんですが、渚の少年さん、「十年経ったいまだからこそ期待します。十年前の熱狂の中でのエヴァを取り巻く言説はどこか地に足がついてない印象がありました。十年過ぎたいまだからこそできる議論を期待します」これプッシャーかかりますね。

岡田:いや、もう今日はOKだ。大丈夫だ。はいはいはい。

乾:そしてマグさん、「私は1981年生まれでエヴァのテレビ放送時に登場人物たちと同い年でした。当時の私は純文学小説を読むようにエヴァを見ていた気がします。その頃読んでいた夏目漱石や芥川龍之介と同じレベルで私の中にエヴァは沈殿していて、私の人格の一部を形成しているように感じています」たくさん日本中にそういう方がいらっしゃるかと思いますが、今回はですね、みなさんに特に気に入っているシーンを選んでいただいて、それをきっかけにトークを進めていきたいと思います。まずは大月さんが選んだシーンなんですけども、テレビシリーズのオープニングアニメ。じゃあ見てみたいと思います。VTRのふりをお願いします。

大月:VTRお願いします。

乾:はい、このシーンです。

岡田:オープニングとしてはかなりかっこいい。

大月:かっこいいですね。僕はもっぱら歌を作っただけなんですけど、こういう画面がついて非常に興奮したのを覚えています。

藤津:音あわせでキャラ出てくるってとこって、それまでだと富野さんとかわりと好きでやったり、わりとオープニングのアニメの伝統をぎゅうっと圧縮して見せてくれたなという。技のデパートみたいな。

宮村:これアフレコの一回目とか二回目は私たち声優も全然この先この話がどうなるのとか、全然先が見えない中で、「オープニングができましたのでぜひこれをご覧ください、そして世界観をこれで分かってください」みたいな感じで、大槻さんが興奮して持ってきてくださったのを覚えてます。アフレコのスタジオでみんなでこのオープニングを見て「あぁ、すごいかっこいい」って、一気にみんなのテンションがあがって。

岡田:あの当時明らかに世界で最先端の映像、絶対見たこともないようなものだったから。

乾:大月さん、そういう意識はありましたか?

大月:思い入れあったんですよ、あのアニメの主題歌っていうの、もっと次元の高いものを音楽的に精度の高いものを、だけどカラオケ行って歌えるもの、鼻歌で歌えるもの、有線から聞こえてきて普通の一般の歌とも溶け合うもの、いろんな自分の中でテーマがあったんですよ。僕はこれに関して全て99.9%庵野さんがエヴァンゲリオンを好きに作っていいと、歌は残念ながらみんなで考えて作るものじゃないんで、それだけは任せてくれといって、もしつまんない歌ができたら、いかなる責任も取るからといって、実はこれに関して作詞家さん作曲家さんアレンジャーさん歌い手さんとあとアニメのスタッフさんは一切会わせてないんですよ。全部自分でやってできた時点で、歌もいれました、駄目なら駄目でいい、全部捨てるからっていって、庵野さんと摩砂雪さんと鶴巻さんとメインの監督さんたちに聞いていただいて、なかなか面白いと、若干のクレームはいただいたんですけど、これでいかせてくれと、それでできたんですよね。

乾:小谷さんはどうご覧になっていました?

小谷:いま見直してみると、全部ストーリーがわかってて作っているような感じですよね。だからあのときにでたエピソードのひとつひとつが凝縮されていま入ってるから、計算されつくしたオープニングのテーマみたいな感じで、もうできあがっちゃってるみたいな感じですよね。

唐沢:そう思って安心させていたら。

岡田:エヴァって見てる人を平伏させる作用があって、見れば見るほどオープングとかを見直すと、ここらでもう作る人はあらかじめ考えたんですかまいりましたってすぐ平伏する気分になっちゃうじゃないですか。

乾:では続いて宮村さんの選んだシーンを見てみましょう。第九話の初号機と弐号機がユニゾンで使徒を倒すシーンということです。VTRのふりをお願いします。

宮村:はい、VTRどうぞ。

乾:どうしてこのシーンなんですか?

宮村:アスカが出てきて、かっこよく敵を倒す一番いいとこなんですけど、普通だったら戦いのところなんで、爆発音がしたり、ロボットの音がしたりするはずなんですけど、あそこ全部音楽になっちゃってるんですけど、台本ではちゃんとセリフがあったんですよ、ちゃんと。だから「うぉー」とか、あれはシンジ君とシンクロして戦ってるんですけど、そのシンクロしながら最後はライダーキック、・・・シンジ役の緒方さんとシンクロしているので、寸分違わずに叫びを言ってくださいって言われて、そこを何回もリテイクしたんですよ。なのに使われてなくて。ふざけんなよって思ったんですけど、その細部にまでこだわるんですけど、結局最後はそれかよ、みたいな。スタッフさんも泣かされたことが多いんじゃないですかね。監督が本当にこだわる方だったので。

岡田:ダビングってあるじゃないですか。普通の人がするダビングじゃなくて、アニメ業界で音と映像をミキシングすることをダビングっていいますよね。ダビングのときぐらいに決心できるんですよ。これは音楽だけでいけるって。そのときは多分心の中に声優さんに手を合わせてごめんねと謝りながら切っちまえと。

乾:使われてないと知ったのはいつですか?

宮村:オンエアーですね。すごいシンジ役の緒方さんと苦労して寸分違わずに「うぉーーーーーー」っていうのを何十回もやらされて、やらされることが仕事なのでいいんですけどもね。

乾:監督には言いましたか?あそこ使ってないですねって

宮村:言いました。

乾:そしたら何て言ってました?

宮村:「うん」ぐらいですね。

乾:藤津さん、エヴァの声優陣はいかがですか?

藤津:バランスがいいといいますか、林原さんってたとえば当時スレイヤーズっていう元気のいいリナという主人公をやってた方が、無口で神秘的な女性キャラをやるとか、セーラームーンで出ていた緒方さん、中性的な魅力だった緒方さんを少年役に起用するとかですね、新人の宮村さんがいて、逆に碇ゲンドウが立木さんというベテランの方がいて、補佐の冬月が清川元夢さんといって庵野監督がずっと登場してもらっている方がいるという感じで、わりとバランスがいいというか、全体の世界がかたまっているキャスティングだと思いましたけど。

乾:滝本さん、何か印象に残っているセリフはありますか?

滝本:やっぱりこう「逃げちゃ駄目だ」とかそういうテストとかよく締め切り前になると頭の中に「逃げちゃ駄目だ」と自然と繰り返されますね。

乾:アスカのセリフだと何かありますか?

滝本:これもやっぱりですね「あんた馬鹿?」・・・そうだよ、馬鹿だよ俺は。馬鹿だ。

乾:続いては滝本さんが選んだシーンを見てみたいんですが、第四話と劇場版二十五話のシンジが落ち込んでるところだそうです。では滝本さんVTRのふりをお願いします。

滝本:VTRどうぞ。

乾:このシーンを選んだのはどうしてなんですか?

滝本:はい、えーっとですね、やっぱりシンジ君は主人公なので、ヒーローじゃなきゃ駄目だと思うんですよ。それでああいう「もうやだ、死にたい」とか「やってられない」とか、そういうシーンがとてもヒーローらしくて尊敬したという。

乾:自分を重ねるようなところもあったんでしょうか?

滝本:あのシンジ君の状況に立たされた場合、100人中100人が、よし人類のためにかっこいいロボットに乗って、すぐ隣には美少女がたくさんいて、かっこよく戦うぞって思うと思うんですが、シンジ君はまったく戦わず逃げようとするんですけど、こういう場合逃げたりするほうがはるかにつらい、つらいというか大変だと思うんですよ。で、それなのに逃げるというのはえらいなあと。つまり、地球の運命とか正義のためにとかいうより、中学生の僕の心の個人的な悩みの方が重要なんだ、だから俺は逃げるんだという風にして逃げて、結局劇場版の最後まで彼はまったく戦わず、逃げ続けるわけですが、それがとてもかっこいいなあと思って尊敬しました。

藤津:普通は行って戻ってきたら成長したりするんですけど、あんまり変わらず似たようなというか、さらに状況が悪くなって、もういっぺん同じことをテレビだと二回か三回か繰り返しますよね。あれはある意味画期的というか、それまでは普通ああいうエピソードがあったら、成長エピソードだと思いがちだけど、そうしなかったのはすごいです。特徴ですよね。

滝本:そしてこれが物語の根幹に関わることで、とにかく成長しないで逃げ続けるというのが、なんだろう、物語に対して嘘をつかない、誠実に、途中でシンジ君が強くなったりしない、よし戦うぞみたいになったらまるっきりうそ臭くなるというか、最後まで逃げてくれたことに対してとにかく深い感謝の念と尊敬を・・・。

岡田:ちょっと僕は異論があるんですけども、シンジ君は逃げたんじゃないと思うんですよ。逃げたんだったら4話で逃げれるはずなのに、同じところぐるぐる回ってたり、ネルフの近所にテント張って泊まってたりしますよね。あれ逃げたんじゃなくて、すねたんですよ。

滝本:つまり普通に俺はエヴァ乗らないとかいって逃げるのじゃなく、ああどうしよっかなとぐるぐる・・・。

岡田:そのぐるぐるっていうのが、いかにもすぐに捕まえてくれそうなところで逃げる感じがすねたと思っている。

乾:小谷さんはシンジは逃げたと見ましたか?

小谷:逃げるっていうか、成長しない子、あるいは成長して何になるかっていうと、アムロの場合だったら一人前の戦士になること、戦うことが男になることと同義になってるのに、碇君の場合はそうじゃなくて、男にならないんですよね。そこがね、男のヒーローと違うかなあという感じはしますよね。

岡田:成長しない理由ってたぶんこのアニメが本質的にエンターテイメントを目指してないからだと思う。

唐沢:純文学なんでしょう、ええ。

岡田:だからこれって文学なんですよ、どう見ても。よく文学が影響を受けたとかよくいうんですけども、そうじゃなくてこのアニメ、エヴァンゲリオンという作品自体がもう文学だととらえているから、これが文学だととらえられないところが、日本の文学界の駄目なところで、芥川賞とかをあげないところが駄目なところなんです。芥川賞あげればよかったんですよ。そしたら日本の文学は絶対成長した。エヴァに芥川賞が一番正しいんですよ。

小谷:エヴァに芥川賞いいですよね。

唐沢:エンターテイメント界というところは、純文学のうちの中にまさかね、この業界の中に、純文学的なものが入って成功するなんて絶対思わなくって、つまりアニメというのは完全にエンターテイメント、こちらの視聴者のほうが王様で我々をさあいかに楽しませるかと思ったら、そうじゃなくて、一歩も二歩も踏み込まなければ、つまりその作者の内面に踏み込まなくちゃいけない世界というのが、どーんと展開されたっていうんで、みんなびっくり仰天したんです。感動とかとは違ってびっくり仰天なんです。

乾:宮村さんは純文学だと思ってました?

宮村:そんな文学とか純文学だとかいう話はいまここで「はぁ〜」っていう「はぁ〜」って聞いてましたけど。

岡田:純文学だと思うとあの騒ぎのつじつまが全部合うんです。

小谷:そうかなあ。

藤津:文学でそんなに騒ぎになったものってないじゃないですか。

岡田:この三十年間なかったからエヴァが純文学という衝撃を与えたんでしょ。三十年間みんな純文学というのは文字で小説だと思っていたから。

唐沢:純文学は商売にならないと思っていたからなんですよ、みんな。純文学売れなくなってきたから。売れなくなってしばらく経ったからこれっていうのは新鮮に見えたんですよね。ばーんと。

岡田:だからもし文学じゃなくてエンターテイメントだったら主人公は成長してるんですよ。ドラえもんですらジャイアンは劇場版で成長するんですよ。いいやつになる。主人公が成長せざるをえないのがエンターテイメントの宿命であり、長所であり、欠点なんですよね。

滝本:いや、エンターテイメントであっても成長しないことはできますよ。僕は物語的にはエヴァは十分エンターテイメントの手法で作られていると思いますよ。

岡田:ええ、手法は僕もそう思いますよ。

滝本:だから描かれている内容が小説的にぐだぐた回っていてもエンターテイメントであることはできるしエヴァは・・・

唐沢:たしかにエヴァはエンターテイメントだと思いますよ。エンターテイメントと純文学が両立するってエンターテイメントの人たちは思ってなかったの。ところがちゃんと純文学だってみんな読んでわくわくすることもあるし、それからそこでもって萌えということもできるしということにようやく気づいた、視野が広がったということですよ、この作品で。

乾:滝本さんはブームの当時関連本とか読まれました?

滝本:読みました。

乾:どれくらい読みました?

滝本:出てるのは大抵読んだんですけど、あとエヴァに関する記事とかたくさん読んだんですけど、当時こういうテレビ番組とかは少なかったんですけど、そういうのを見て、高校生とか大学生だった僕は「なんだ、このテレビとかに出て、分かったようなことを言っているクズどもは。俺は違う、俺は世界でいちばんエヴァを分かっているのに、こいつらなにたわ言を・・・」

唐沢:そういう人が100万人ぐらいいたんですよ。

滝本:一年ぐらい前でしたら、飲み会とかで、飲み会でエヴァの話が出るのも変なんですけど、「エヴァはあの劇場版って結局なんか失敗作だよね」とか言われた瞬間、ガンと、「お前に何が分かるんだ、この野郎!ぶっ殺すぞ、この野郎!お前ごときにエヴァの素晴らしさは分からない。お前なんか死んでしまえ」というぐらいに怒りが・・・。

藤津:いまの滝本さんの成長するでちょっとさっきのシンジの成長の話で思ったんですけど、エヴァって成長してもどこ行くかわかんないんですね、あの世界だと。アムロって一応戦場があって、社会があって、一応がんばってる大人がいるんで、そこの一員になる、成員になるっていうことで、大人のイメージがあるわけですけど、エヴァって大人って冬月とお父さんしかほとんどいなくて。

岡田:あの世界に大人はいないです。

藤津:他はほとんど大人や一般社会みたいな描写はないんで、第三新東京市も結果的に人のいない街なので、エヴァってあの環境をシンジが卒業したときにどこいくかっていわれたときに、

小谷:ネルフに就職?

藤津:みたいなことしかなくて、それが見えないから、成長させようがない構造に最初からなってる気はちょっとしているんです。

乾:では、小谷さんの選んだシーンを見てまいりましょう。十九話暴走したエヴァンゲリオン初号機が使徒を食べてしまうシーンです。ではVTRのふりをお願いします。

小谷:はい、VTRお願いします。

乾:小谷さん、なぜこのシーンなんですか?

小谷:いや、気持ちいいじゃないですか。

岡田:なにが?

小谷:この十九話の前にゲンドウの前で「僕はエヴァに乗ります」って言って乗ったんですよね。そしたらもう訳の分からない使徒にやられちゃって、それでシンジじゃなくてエヴァのほうが勝手に暴走し始めてですね、それで怪物化しちゃうってシーンなんですよね。だから私の目から見るとエヴァって、シンジ君のお母さんの細胞が入っていて、魂が入っていて、男の子がもう全然男にならなくて戦えないのに、女の人のほうががんばってじゃんとか思って、拘束具を外すぐらい女の人を縛っている拘束具を外すぐらいぱーっとはじけて、それで暴走していくってところになにかある種のすごいエネルギーを感じて、それでこのシーンは好きで好きでたまらないんですね。

乾:非常にすかっとするシーンだったんですか?

小谷:私的にはすかっとしたんですけど、男の人が見て気持ちよかったかどうかまでは・・・もうやめてくれー、エヴァはこんな・・・。

岡田:僕はやっぱ萌えますよ、あそこは。つまり鬱屈していた主人公なんだけども、絵が暴走してくれるからすごい楽しいし。

藤津:小谷さんにちょっとうかがいたかったのは、エヴァのなかでお母さんとか女性ってわりと主人公を誘惑する悪いポジションというか、わりと本人たちはつらい境遇に置かれているにも関わらず、主人公をそこに閉じ込めようとする役をになわされていて、わりと碇ゲンドウに甘いじゃないですか、っていう感じがするんですよ。そこらへんどうなの、ご覧になっていて。

小谷:だからやっぱり女の人がああいう世界で生きていくときには体も心もばらばらにされてシステムのなかに埋め込まれちゃって、それでその状態で碇ゲンドウを守り立てていくような方向でいかなきゃいけないし、シンジ君は閉じ込められたプリンスですから、プリンスを甘やかしてそしていい子いい子しながら戦わせるようにしむけなきゃいけない、はずだったのに、なんかうまくいかなくなっちゃって暴走しちゃうってそういう感じ。

乾:滝本さんの好きな女性キャラは誰ですか?

滝本:綾波レイですね。大抵男性の視聴者は綾波レイが好きだと思うんですが、やはり綾波は大好きですね。

小谷:どうしてどうして?

滝本:これが言葉では何とも説明できないんですよ。なぜかといいますと、人を好きになった理由を口で説明できないじゃないですか。

岡田:物書きとして言語化するとどうなるんですか?

滝本:だって綾波ですよ?好きになるに決まってるじゃないですか。

乾:ではここでエヴァンゲリオンの魅力をさらにもう一歩深く踏み込んで楽しむためのコーナーをご覧いただきます。

ナレーター:新世紀エヴァンゲリオンテレビ版の最終回、そこでは期待された謎の解明ではなく、主人公シンジの内面描写が様々なアニメの技法を駆使して行われた。賛否両論の最終回、氷川竜介の大胆な解釈をあなたはどう見るか?

氷川:はい、こんばんは、アニメ評論家の氷川竜介です。今夜はですね、エヴァンゲリオンといえばこれというテレビ版の最終回、そこで非常に色んなアニメの技法が出てくるんですが、あれが何だったのかということをですね、私なりの解釈をちょっと述べてみたいと思います。で、劇場版がでてきてから分かったんですが、劇場版ではですね、人類補完計画の事件としての補完計画が描かれているんですが、テレビ版はですね、シンジ君がうじうじうじうじと自分はなに?世界はなに?と悩んでて、まったく同じ事件が描かれているとすると、あれはテレビは要するに物語としてはシンジ君補完計画だということができると思います。その一方でじゃああの線画になってしまう絵はなんだというとですね、これは私なりの考え方なんですが、あれはもしアニメというものがですね、自意識を持って自我を持って、アニメがアニメってなんだろう、僕アニメなんだけどアニメってなに?って考えていくと、ああいう映像になる、いわばアニメ補完計画じゃないか、という風に思っています。じゃあその証拠を映像を使って説明していきたいと思います。まずこれが普通のエヴァンゲリオンの映像なんですが、キャラクターはシンジ君というこういうセル画のキャラクターで描かれていて、世界は画用紙に描かれた背景画という、世界が背景画置きなんですよね。これが最終回でどうなっているかということをビデオを使って説明したいと思います。じゃあビデオをお願いします。これ最終回、二十五話、二十六話まとめて最終回だとすると、これ最終回の映像なんですが、まったく背景ないですね。世界を喪失してしまったアニメーションの映像なんですよ。だからシンジ君は自分のキャラクターだけになっちゃって、シンジ君が何だって考えているのと同様に、アニメーションと映像が、俺アニメなんだけどアニメって何なんだんだっけ?世界ってどこいっちゃったんだっけ?って考えている映像がこれだという風に考えることができるわけです。そのシンジ君が一人になったときにキャラクターが次にどうなるかというと、僕アニメなんだけどアニメって自分は絵だったんだって気がつくシーンなんですよね。これはマーカーとペンで描かれてるんですが、アニメたってセルって人間の目に見えてたかもしれないけど、ペラペラの絵なんだって形で絵になってしまう、これがこのシーンだと考えられます。じゃあこれが次にどうなっていくかなんですが、さらに今度は色までなくしちゃって全部線画になっちゃって何枚かの置き換えで、これペーパーアニメっていう手法でよく実写アニメはこういう手法で作られるんですが、本当に今度はもう塗ってる影もなくなっちゃって、地平線はただの線でどんどん喪失感がなくなっていって、アニメは根源的に線だけでできている、アニメってこう線で描くで、さらにこの線が意味もなくして抽象的なものになっちゃって、根源的な記号になってしまって、魚になったりして一瞬形を整えるんですが、その意味もなくなっていく、こういう形でアニメが自分が自分として何なんだろうといってアニメが自分のことを考えたときにぼんと自己崩壊していくってのとシンジ君が自分が何だってぱっと気がつくんですが、アニメの気がつく表情だってただの記号で、これだってシンジってわかっちゃうでしょっていうような、そういうような形で映像が自分語りみたいなことを始めている、これがエヴァの最終回の映像なんじゃないかという風に思います。その究極のものが最終回の最後のほうでこれアフレコ台本なんですけど、アフレコ台本だけが映っていてこれに声優さんの声がぱっぱっとかぶってくると、それだってアニメじゃないかっていうのがですね、これ一種の皮肉が混じってると思うんですけど、そういうところまでアニメがアニメっていうのは何なんだろうということと、それからアニメが自分を取り戻したときに色んな可能性があるっていうことに気がついていくというのが、シンジ君の自分語りとまったく同期していく、そういうアニメ補完計画が実はテレビ版の最終回だったんじゃないかというのが私なりの仮説です。以上アニメマエストロのコーナーでした。

乾:氷川さん、ありがとうございました。なるほど、そういう見方もあるんですね。大月さんエヴァンゲリオンはいまのシーンみたいに実験的な手法が多いですけれども、当初からそういう作品にしようと思っていたんですか?

大月:それはあったですね。メインのスタッフ、みんなATG映画が、70年代後半80年代前半のATG映画がみんな好きで、仲間内でよく終わったあと飲んだりとか、汚い居酒屋でね、飲んだりしたそのときに実はアニメの話は全然しないんですよ。そのATG映画の話とかテレビのドキュメンタリーの話とか、ああいうの新しいよねとか、たとえばNHKの番組であれ面白いねとか、そういう話なんですよね。だから何らかのそのアニメを模倣するとか、何かアニメの話って全然しなかったですね。それはよく覚えています。

乾:宮村さん、エヴァンゲリオン後半の録音のときの雰囲気ってどんな感じでした?

宮村:そうですね、最後のほうはですね、一話、二話のペースで絵が全部入ってるとかではなくて、もう台本もできてない週とかありまして、いつもアニメのアフレコは一週間前に台本が渡されるんですけども、一週間前には「台本ができてません」と、当日の台本が来て、フィルムもオンエアされるのは絵が入って色もついてますけど、全然色がついてなくて、コンテ撮といってコンテが映ってたりして、そこに線が流れるんですけど、線が流れている間は、赤い色はアスカとか、黒はシンジとかいう風に、アフレコして「ああ今回も線画多いな」って思って、最終回見たらそのまま流れてたから・・・。

乾:滝本さんは最終話をどういう風に見ました?

滝本:んーと、たしかですね。僕はその頃高校生で、学校が終わってから、
渋谷君と大倉君の家にいって、みんなで見てたんですが、なんだろう、記憶が残ってないんです。

小谷:衝撃で?

滝本:いや、何なんだろう、空白が。記憶に空白がぽかーんと。

乾:続いて藤津さんの選んだシーンを見たいと思います。劇場版二十六話の実写映像のシーンだそうです。ではVTRのふりをお願いします。

藤津:では、VTRどうぞ。

乾:なぜまたこのシーンを?

藤津:いまのシーンそれぞれにも本編にストーリにからんで意味があると思うんですけど、そもそも実写シーンがなぜ必要だったかというのが僕がここに取り上げた理由なんですけど。日本のアニメってリアルっていうことをすごく大事にして進化してきたんですね、リアルっていうのは何かっていうと、色々解釈あるんですけど、ひとつは記号が集積した絵にすぎないキャラクターに生々しさを感じるっていう要素がひとつあって、これって実はかなり矛盾というか倒錯した要素なんですけれど、その記号の操作で生々しさを喚起できないか、それが日本のアニメの進化のひとつの課題だったと思うんですね。で、エヴァの場合って、そのキャラクターは比較的漫画チック、かなりリアルにも描ける優れたキャラクターデザインなんですけど、それに対してわりとエキセントリックな死とか狂気って要素を入れることで主人公たちを追い詰めて切迫感を出すことで生々しさを得てきたわけですけど、その先っていうんですか、そこまでいって、かつしかしじゃあその先に何があるのか、どういうその先にどうリアルが作れるかといったときに、やっぱり絵は絵でしかないって出てきたと思うんですね。もうこれはもう人間でやらないと到達できない生々しさを求めちゃった。アニメでやってたはずが、結果的にそれは実写でないと駄目なんじゃないかっていう裏返り方っていうのが、特にテレビ版から劇場版への大きな変化で、そこが一番面白くて逆にそれは後に庵野監督がラブ&ポップや式日で自分なりのリアルを追求していく転回点でもあったと思うし、そういう意味でここの実写シーンを選びました。

乾:宮村さんは実写シーンには出演されてたんですか?

宮村:出演しました。声優としてエヴァに出演させてもらっていて、事務所から実写パート撮るんだと聞いたときは、「え?なんで?」って思ったんですね。で、いま仰ったような監督の中にそのリアルを追求するとかいうことを、監督ご自身は考えてらしたかどうかは分からないし、また私たちに声優役者陣に語ることもなかったので、「なぜ?」って思いながら行きました。テレビドラマとかの役者さんじゃなくて、なんで声優さんにさせるかなあと。で、その辺の説明もなにもないし、そういう監督の99.9%思い通り色んなことをさせてあげようとしたプロデューサーが本当偉いなあと思います。あの時も私大月さんに「監督の意図がよく分からないんで、どうしたらいいですか?」とか色々相談したんですけども。

乾:大月さんは庵野監督の意図は100%理解してたんですか?

大月:いや、そういう相談はないですね。一番あれだったのは、公開が春で、映画が公開する、できなかった、で、夏に公開する、まあできました、みたいなすさまじい一年だったんですよね、実は。いまみなさんが純文学って仰ってくださったんですけど、僕らのやっている動き、こんなこと言っていいのかな、やっぱり純文学っぽかったですよ。とりあえずだから走り抜けなきゃならない、とりあえず映画公開まで持っていかなきゃならない、色んな蓄積ありましたよね。私は中野のボロアパートに住んでたんですけど、夜中窓を全開にして絶叫しましたからね。

乾:もう極限状態だったんですか?

岡田:なんて絶叫したんですか?

大月:分かんないんですよ。

乾:最後に唐沢さんの選んだシーンを見てみましょう。劇場版二十六話のラストシーンだそうです。VTRのふりをお願いします。

唐沢:んー、見ますか。どうぞ。

唐沢:まさにエヴァンゲリオンという作品が騒動を巻き起こし、十年後のいまに至るまでこのような番組を作られる、色んな人間が色んなことを言い、そして言ってみれば、純文学とするという意見が正しいとするならば、一人の庵野秀明という人間の内面をのぞきこもうとしていたという行為、それに色んな理屈をつけて自分が正しい正しくない、またそれを私や岡田さんみたいにある程度クールに眺める、すべてのものをひっくるめてこのセリフに象徴されているような気がします。言ってしまうと、エヴァンゲリオンの本質っていうようなものは、それまで与えられるのが当然と思っていた若い世代が、与えられないことの快感に気がついちゃったことなんじゃないか。少なくとも与えられるべき回答が与えられなかった、それから楽しませてくれるべきエンターテイメント性というのは欠落していた、そういうようなものを、欠落というものに自分の心の中の何かというものを補完して、そして完全な作品にしたときにそれは完全に自分ひとりの自分の中のエヴァンゲリオンになる、その作業を多分十年間エヴァンゲリオンにはまった、エヴァンゲリオンに魅入られた人々がずっと続いていて、そしてそれは自分の中では非常に充実した、自分の内部においてはとても楽しい十年間だったかもしれないけども、でもある意味他人から見れば気持ち悪いと言われても仕方のない行為であったということ。だから悪いということじゃないですよ。でもそういうことで自分自身を見つめなおすという見方をさせてくれたような作品だったと僕は思います。

乾:滝本さんはあのシーンといまの唐沢さんのご意見いかがですか?

滝本:えー、たしかに気持ち悪いんですが、えー、気持ち悪いなあ。・・・気持ち悪くていいじゃないか。だって気持ち悪いものは気持ち悪いですよ。

唐沢:いいんですよ、気持ち悪くて。

滝本:いや、でも気持ち悪いのは駄目ですよ、やっぱ。気持ち悪い、気持ち悪いのは駄目ですよ!気持ち悪い人は死んだほうがいいですよ。これから家に帰って10年間僕は何をやって暮らしてきたのか、見つめなおします。

唐沢:庵野さんの個性というものが、そのほうで出して、ちゃんとその人間に色んな受け止められ方をするだけの重みがあったんだろうけども、それをスタイルだという風にして、その後エヴァンゲリオンの大ヒットのゆえにエヴァンゲリオンに影響を受けちゃった作品でとにかくこのように難解にする、難解っぽい感じにするとか、暗くするだとか、主人公を主人公らしくなくするだとか、というような、それからあと謎を多く出してそれに解決を与えないだとか、そういうようなエヴァンゲリオンの色んな語られたところを寄せ集めて作ったような作品が多出して、アニメばかりではなく小説にもあり、特撮とかいわゆる映像作品というものにもたくさんありという形で、これのエヴァンゲリオンっていう素晴らしい作品でそれの評価というのは私はかなり高いんだけれども、ただしこれが出たときに私が危惧したのはこれの形状ばかりを取り入れれば成功するのだというカブレというような作品が出てくるんじゃないかなと思った危惧は、残念ながらこの十年間は当たっていたような、そのような気がします。

藤津:でも実際見てると似てなかったりするんですよ。

唐沢:大体これがエヴァの影響の一言で済ませられちゃうんですよ。

藤津:むしろ小説のほう、いわゆるセカイ系っていわれるのはエヴァの影響は強かったと思いますけど。

唐沢:なにかっていうとエヴァから全部取ってきてというんじゃなくて、エンターテイメントの中にエヴァ的な要素をちょっと入れようみたいな、そういう姿勢というのは色々、特に特撮系では名前を出していいのかどうか分からないけど、それで打ち切りになっちゃった作品とか色々あるじゃないですか。

小谷:でも形にならなかった、それまでのたとえばひきこもりとか、セカイ系とか、戦闘美少女、美少女が戦うとか、そういうものをはっきりとした形で表して、こういうのがいまの問題であるよって、95年のあの時点で出してきて、それでどっちかっていうとそれが言われて初めて気がついたっていうのはあるんじゃない?

唐沢:気がつくのは気がつく、その気がついたことでもっと良い作品とか、そうものがどんどん生まれてくるんだったらそれはいい混乱であり、いい現象だと思うんだけども、どうもいまだに混乱や混迷のみが尾を曳いているような。

乾:宮村さんみなさんのお話を聞いてていかがですか?」

宮村:エンターテイメントの話がいまありましたけど、私も監督っていうのは話が決めててとかこうやりたいんだということがあって、それをこうやりたいからこういう表現してほしんだよっていうことを伝える人だと思ってたんですけど、この最後の「気持ち悪い」というセリフもそうだったんですけども、監督が投げかけてくるんですよ、こういうときこう思ったらどう思う?みたいな、それはアスカ、宮村優子だけじゃなくて、他の役者さんにもみんなそういうふうに、こういうときこういうことをされたらじゃあどう思うとか、私の場合はこの最後の「気持ち悪い」というセリフは、最終回のアフレコ撮ったのに「駄目です、もう一回撮り直します」というふうに事務所からいわれて、私ひとりだけ最初残される予定だったんですけども、かけあいであるシンジ役の緒方さんが、かけあいなのでセリフが、一緒にやるってことになって、二人居残りみたいな感じで呼ばれていって、最後のセリフは本当は「気持ち悪い」じゃなくて、「あんたなんかに殺されるのは真っ平よ」だったんです。けど、最後何回もそれをいったんだけど、「違う、そうじゃないんだ、そうじゃないんだ」って長い休憩になって、私も緒方さんも「どうしたら監督の思うようなことが表現できるんだろうね」とかいって、あの首絞められるところなんて本当に緒方さんが私にまたがって首絞めたぐらい本当に監督からの要求がすごい難しくて、リアルを求めてたのかな、その最後のセリフに関してはですね、これは言っていいのかどうかわかんないんですけども、「もし」、アスカとかじゃないんですよ、いつもいわれることが、「もし宮村が寝てて部屋で、自分の部屋で一人寝てて、窓から知らない男が入ってきて、それに気づかずに寝てて、いつでも襲われるような状況だったにも関わらず、襲われないで、私の寝てるところを見ながら、あのさっきのシンジのシーンじゃないですけど、自分でオナニーされたと、それをされたときに目が覚めたらなんていう?」って聞かれたんですよ。前から監督は変な人だなって思ってたんですけど、その瞬間に気持ち悪いと思って、「気持ち悪い、ですかね」とかっていって、そしたら、「はぁ・・・やっぱりそうか」とかいって。「やっぱりそうか」っていうか。

岡田:エヴァの作り方として僕それやっぱりすごい正しいと思っちゃうんですよ。唯一無二なんですよ。ていうのは、人類補完計画っていってるけど、この中でクライマックスに向けてやってるのは、アニメの作り手補完計画なんですね。つまり最終話にむかって声優、作画、プロデューサーという立場がなくなっていったらどうなるかという壮大な実験を、テレビシリーズやりながらこいつやろうとしてたんですよ。とんでもないことを。多分それを目指していたはずですね。庵野「こいつ」ってごめんなさい。なので、庵野監督がやってほしかったのは、自分の意図、やってほしいことを伝えることじゃなくて、自分と同じ問題を悩んで欲しかったんですね。その意味ではとことん自分と同じ監督と同じ立場に全員が立った地平を目指したい、それが、なんだろう、最終回、劇場版にいたっては、それを見てる人間までが、エヴァンゲリオンの問題をどうなるのか一緒に考える地平にまでいくと、そこまでいくと、完全に見てる側も作る側も個々のスタッフもすべて融合した状態になるというのを目指したんじゃないかなと。製作スタッフの思想的な実験までも全部やろうとしてますね。

大月:思い出すんですけど、まずこれ代理店さんのほうに持ち込んで、これをテレビでやりたいと言ったときに、三十いくつだったんだろうな、三十二、三だったのかな、そのとき僕の応対に出た人はみんなきっちりネクタイ締めて、年配の方だね、年上の、ずらっと並んで「あんたこんなことやったら、会社大損してあんた会社首になるよ」って言われたんですよね。真顔で。「こんなことやってあんた大変なことになるよ」「いくらあんた会社に赤字出すの?責任取れるの?」って。複数のネクタイ締めた立派なおじさんに言われて、そういうのがさっき唐沢さんが仰ったけど、この有様、ですよね。これはNHK通してきっちり言った方がいいと思う。「これがやっぱり不味いんだな」「浅はかだ」少なくとも僕はそういう風に言われてもこれやった。やりたいと思った。それがないね、いまは。

唐沢:いまはない。やっぱりこのエヴァンゲリオンという成功例があるから我も我もというんじゃ駄目なんですよ。本当に会社と世間に気持ち悪いと言われて対峙するっていうようなね、そうやったからこそこの作品のみがいまに語り伝えられるような唯一無二のものになったんじゃないかっていう風には思います。

岡田:エヴァってね、何よりもまず面白いアニメなんですよ。僕は怖いのは、この番組でこういう風にがーっと話してますよね、みんな本気になるのは何よりも面白いアニメだからであって、今日取り上げた部分はすごいテーマ的な部分中心に取り上げたので、難しいアニメだと思われちゃうのが怖い。何よりもとりあえず面白いSFアニメであり、びっくりするような映像がすごいでてくる。宮村さんが最初に出てくるアスカ来襲の回なんて絵のタッチ、たとえばあの乗ってるヘリコプターのシートの汚し方の隅々にいたるまで、スタッフがこんなアニメ作りたい、こんな映像表現やりたいというのがすごい高いテンションで見れて、何よりも心踊る面白いSFアニメだというのが、エヴァの本質のひとつなんですね。それと同時に文学性もあったんですよ。だから文学性もあったから大ヒット、メジャーヒットもしたんですけど、文学性というのは悲しいことに超ヒットする文学性というのは絶対時代とシンクロしてるものなんですね。あの十年前の日本というのは、エヴァを切実に必要としていたから、あんなにエヴァがヒットした。だからエヴァの純文学性がすごいとらえられて、あれの亜流がどんどんでてきたんですけど、結局エンターテイメントとして面白いロボットアニメ、戦闘アニメを作ろうというのはなかなかこの後ちょっと出にくい雰囲気になっちゃった。どちらかというと難しいのばっかりが増えて。でも何よりもエヴァというのは面白いアニメであるというのが中心なので、そろそろもう十年経ったし、エヴァをこの文学性から解放してあげてもいいんじゃないかとちょっと思いました。

乾:はい、今夜のアニメ夜話、ここまでです。また次回お会いしましょう。みなさん、どうもありがとうございました。